こんにちは、コズエです。
みなさん「あなたを心配している」って言われると、なんだか温かい気持ちになりませんか?
私も子供の頃、母に「あなたが心配で眠れない」なんて言われると、愛されてるんだなって嬉しくなったりしました。
心配してくれる人がいるって、とても幸せなことですよね。
一人じゃないんだって思えるし、自分のことを大切に思ってくれる人がいるんだって実感できるから。
でも最近、ちょっと気になることがあるんです。
その「心配」って、あなたのことを思う気持ちの他に、何か別の気持ちも混じってるんじゃないでしょうか?
心配という愛情の裏側にあるもの
「心配してる」って言葉、本当に美しいと思います。
お母さんが子供の帰りが遅いと心配する。
恋人が危険な仕事をしてると心配する。
友達が無謀なことをしようとすると心配する。
全部、相手を大切に思ってるからこその感情ですよね。
愛情があるから心配するんだって、みんな当然のように思ってるし、私もそう思ってました。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?
その「心配」って、本当に相手のためだけなんでしょうか?
もしかしたら、そこには自分のための気持ちも混じってませんか?
「私が不安になるからやめて」の正体
例えば、お母さんが子供に「危ないからやめなさい」って言うとき。
表面的には「あなたがケガしたら大変」って思ってるように見えます。
でも、よく考えてみてください。
もし子供がケガをしたとき、一番つらい思いをするのは誰でしょう?
子供本人ももちろんつらいでしょう。
でも、実はお母さんも同じくらい、いえ、もしかしたらそれ以上につらい思いをするんじゃないでしょうか。
「私の大切な子が傷ついた」
「私が守れなかった」
「私のせいかもしれない」って。
そう考えると「危ないからやめなさい」って言葉には、「あなたがケガしたら、私もつらいからやめて」っていう気持ちも混じってませんか?
「かわいい子には旅をさせよ」を嫌がる理由
昔から「かわいい子には旅をさせよ」って言葉がありますよね。
大切な子だからこそ、あえて困難を経験させて成長してもらうっていう意味です。
でも、現実にはどうでしょう?
子供を愛してる親でも、なかなか子供を旅に出したがらないことが多いんじゃないでしょうか。
「危険だから」
「まだ早いから」
「心配だから」
って。
もちろん、本当に危険すぎることもあります。
でも、その境界線って、果たして子供の成長を考えて引かれてるんでしょうか?
それとも「私が心配しないで済む範囲」で引かれてるんでしょうか?
心配は愛情と所有欲が混じった複雑な感情かもしれません
ちょっと厳しいことを言いますが「心配」って、もしかしたら愛情だけじゃなくて所有欲も混じってるかもしれません。
「私の大切な人」
「私の子供」
「私の恋人」
その「私の」っていう部分が、実は心配の正体なのかもしれないんです。
本当に相手のことを思う気持ちもあるでしょう。
でも同時に、相手の選択より自分の安心を優先してしまうことはありませんか?
「私が不安になるから」
「私が心配だから」
って。
「心配してくれてありがとう」の罠
そして一番厄介なのは、心配される側が「心配してくれてありがとう」って感謝しちゃうことです。
相手の気持ちには本当にあなたを大切に思う愛情も含まれてるから、それを感じ取ってしまうんですよね。
だからこそ、その心配を無下にできなくて、相手の不安を自分の責任だと思っちゃうんです。
「心配かけちゃってごめんなさい」
って謝っちゃうんです。
でも、よく考えてみてください。
あなたが自分の人生を生きることで、なんで他の人に謝らなくちゃいけないんでしょう?
あなたの人生はあなたのものです。
他の人を安心させるために生きてるわけじゃありません。
本当の愛情があるからこそ手放せない複雑さ
本当に誰かを愛してるなら、きっと手放すことができるはずです。
相手が危険な道を選んでも「気をつけてね」って送り出せるはず。
相手が失敗しても「大丈夫、あなたなら立ち直れるよ」って信じられるはず。
でも心配ばかりしてしまう人は、愛情と同時に不安も強すぎて手放せないのかもしれません。
相手のことが大切だからこそ、何かあったらと思うと、いつまでも「危ないから」「心配だから」って、自分の安心できる範囲に置いておきたくなってしまう。
それって、愛情と支配の境界線が曖昧になってる状態かもしれませんね。
あなたの人生は、誰の安心のためにあるのでしょう?
もしかしたら、あなたの周りにもいませんか?
「心配してる」って言いながら、実は自分の不安を解消を優先したい人が。
その人たちの「心配」に応えることで、あなたは自分の人生を小さくしてしまってませんか?
「心配かけたくないから」って、本当はやりたいことを諦めてませんか?
でも考えてみてください。
その人たちが「心配しないで済む人生」って、果たしてあなたが生きたい人生なんでしょうか?
他の人を安心させるために生きてたら、気づいたときには自分の人生が何も残ってないかもしれませんよ?
あなたの人生は、あなたのものです。
誰かの「心配」という名の不安解消のためにあるわけじゃありません。
たまには、その「心配」の正体を疑ってみてもいいんじゃないでしょうか。
それが本当にあなたのためなのか、それとも相手の安心のためなのか。
きっと、その区別がつくようになったとき、あなたはもっと自由に生きられるようになるかもしれませんね。