みんな本当は「めんどくさい」と思ってたこと|なぜ言えなかったんでしょうね

こんにちは、コズエです。

最近、すごく不思議に思うことがあるんです。
コロナ禍以降、いろんなことが変わりましたよね。
リモートワークが普及したり、オンライン会議が当たり前になったり。

でも、その変化を見ていて思ったんです。
「あれ、みんな案外この変化を受け入れてるな」って。

もしかして、前からちょっと「めんどくさいな」って思ってたことが多かったんじゃないでしょうか。

家族葬が増えた理由って本当はなんでしょう

コロナ以降、家族葬がすごく増えましたよね。
「感染対策で仕方なく」って理由になってるけど、本当にそれだけでしょうか。

私の周りでも、お葬式の規模が小さくなった話をよく聞きます。
でも、みなさんどこかホッとしてるような表情をされるんですよね。

「親戚付き合いが大変で…」
「準備が本当に大変だった」
「正直、負担が大きくて」

こんな声を聞くと、もしかして前から「大変だな」って思ってたんじゃないかなって。

昔からの慣習だから、文句は言えなかった。
でも、心の中では「もう少し簡単にできないのかな」って思ってた人、結構いたんじゃないでしょうか。

コロナが、みんなが言えなかった本音を表に出してくれたのかもしれませんね。

毎日出社することへの疑問

リモートワークも同じだと思うんです。

「通勤ラッシュって本当に必要だったのかな」
「毎日オフィスにいる意味って何だったんだろう」

こんなことを考えた人、きっと多いですよね。

でも、コロナ前に「毎日出社するのって効率悪くないですか?」なんて言ったら、どう思われてたでしょう。
「やる気がない」
「協調性がない」
って言われちゃったかもしれません。

実際、リモートワークをしてみたら「あれ、案外仕事って進むな」って感じた人も多いんじゃないでしょうか。
集中できるし、無駄な雑談もないし、移動時間もない。

みんな薄々気づいてたんですよね。
でも、それを言うのは「わがまま」だと思って、黙ってたんじゃないでしょうか。

長時間会議の正体

オンライン会議が普及して、会議時間がすごく短くなりませんでしたか?

画面越しだと、無駄な雑談がしにくいんですよね。
「とりあえず集まってから考えよう」みたいなこともできない。
必然的に、要点だけを話すようになる。

その結果、30分で済む話だったことがわかったんです。

でも、前は2時間くらい会議室にいましたよね。
何を話してたんでしょう。

「今日の天気の話」
「週末の予定の話」
「誰かの武勇伝」

本当に必要だったのかなって、今思うとちょっと疑問です。

でも、その時は「コミュニケーションが大切」って言われてたから、みんな黙って聞いてたんですよね。
本当は「早く終わらないかな」って思いながら。

飲み会への本音

飲み会も激減しましたよね。

「親睦を深めるために大切」
「チームワークのために必要」

こんなふうに言われてたけど、実際なくなってみて困りましたか?

私の知り合いは「正直、楽になった」って言ってる人が多いです。
お金もかからないし、時間も自由になるし、気を遣わなくてもいいし。

コロナ前に「飲み会って正直面倒じゃないですか?」なんて言ったら、どうなってたでしょう。
「付き合いが悪い」
「ノリが悪い」
って思われちゃったかもしれません。

みんな、本当は面倒だと思ってたんじゃないでしょうか。
でも、それを言うのは「大人げない」と思って、笑顔で参加してたんですよね。

なぜ本音を言えなかったのでしょう

こうやって振り返ってみると、不思議ですよね。
みんな同じように「面倒だな」って思ってたのに、なぜ誰も声に出さなかったんでしょう。

きっと、みんな優しかったからだと思うんです。

「みんなが大切だと思ってることに、文句を言ったら失礼かな」
「私だけわがままなのかな」
「空気を読まなきゃ」

こんなふうに考えて、自分の気持ちを飲み込んでたんじゃないでしょうか。

でも、実はみんな同じことを思ってたんですよね。
お互いに気を遣いすぎて、誰も本音を言えない状況になってたのかもしれません。

同調圧力という見えない力

心理学で「同調圧力」っていう言葉があります。
みんながやってることに合わせなきゃいけないって感じる心理のことです。

「みんなが大切だと言ってるから、きっと大切なんだろう」
「私だけ違うことを言ったら、変な人だと思われるかも」

こんなふうに考えちゃうんですよね。

でも、実は「みんな」の中身は、同じように迷ってる個人の集まりだったりします。
一人一人は疑問に思ってるのに、全体としては「みんな賛成してる」ように見えてしまう。

不思議ですよね。
誰も望んでないのに、続いてしまうことがあるんです。

「当たり前」を疑うことの大切さ

でも、コロナがきっかけで、いろんな「当たり前」を見直すことができました。

「毎日出社するのが当たり前」
「会議は長時間するのが当たり前」
「飲み会は参加するのが当たり前」
「お葬式は盛大にするのが当たり前」

こういう「当たり前」の中に、実は誰も望んでないものが混じってたんですね。

私たちって、意外と「なんとなく」で生きてる部分が多いのかもしれません。
本当は疑問に思ってることがあっても、「まあ、みんながやってるから」って理由で続けちゃう。

でも、たまには立ち止まって考えてみてもいいんじゃないでしょうか。
「これって本当に必要なのかな」って。

変化を受け入れる勇気

もちろん、すべての慣習が悪いわけじゃありません。
大切な意味があるものもたくさんあります。

でも、時代が変われば、必要なものも変わってきますよね。
昔は意味があったけど、今はそうでもないものもあるかもしれません。

大切なのは、自分の気持ちに正直になることじゃないでしょうか。
「これは本当に大切だと思う」って心から思えるなら続ければいいし、「なんとなく」でやってるなら、見直してもいいかもしれません。

もしかすると、あなたの周りにも、同じように「ちょっと疑問に思ってるけど言えない」って人がいるかもしれませんよ。

あなたが勇気を出して「これってどうなんでしょうね」って言ったら、「実は私もそう思ってました」って言ってくれる人がいるかもしれません。

みんなで作る新しい当たり前

コロナで変わったことを見ていると、人って案外変化に順応できるんだなって思います。
最初は「こんなの無理」って思ってたことも、やってみたら意外とできちゃった。

それって、すごいことだと思うんです。

これからも、きっといろんな変化があると思います。
でも、その時に「前からちょっと疑問だったんだよね」って素直に言えるようになったら、もっと生きやすい世界になるんじゃないでしょうか。

みんなが「なんとなく」で我慢してることって、きっとまだまだあると思うんです。
でも、一人一人が正直になれば、もっと楽で自然な「当たり前」を作っていけるかもしれませんね。

あなたも、心の中で「これってどうなのかな」って思ってることがあったら、たまには声に出してみてもいいかもしれませんよ。

案外、みんな同じことを思ってるかもしれませんから。