「仕方ない」で終わらせたら、何も変わらないまま死んじゃいますよ?

こんにちは、コズエです。

みなさん「仕方ない」って言葉、よく使いませんか?
私もついつい使っちゃうんですけど、最近この言葉について考えることがあります。

なんていうか「仕方ない」って、とても便利で優しい言葉ですよね。
でも、それって本当に心の底から納得してるのかな?って思うことがあるんです。

「仕方ない」が口癖になってしまう心理

「仕方ない」って言葉、本当に優しいと思うんです。

誰かが理不尽な目に遭ったとき「仕方ないよね」って言ってあげられる。
自分が嫌なことがあったときも「まあ、仕方ないか」って受け入れられる。

みんなが無理を抱えて生きてる中で「仕方ないよね」って言ってもらえると、ちょっとホッとしますよね。
責められてるわけじゃないし、自分が悪いわけでもない。
ただ、そういうものなんだって。

この言葉があるおかげで、私たちは日々の小さなストレスとか、変えられない現実とか、そういうものと上手に付き合っていけるのかもしれません。

本当は納得していない「仕方ない」の正体

でも、ちょっと待ってください。

その「仕方ない」って、本当に心の底から思ってますか?

本当は、怒りたかったんじゃないですか?
「これっておかしくない?」
って声に出したかったんじゃないですか?

「なんで私がこんな目に…」
って思ったんじゃないですか?

それを全部飲み込んで、笑顔で「仕方ないよね」って言っただけじゃないでしょうか。

私、時々思うんです。
「仕方ない」って言葉は、確かに優しいけれど、もしかしたら私たちの本当の気持ちを隠してしまう魔法の言葉なのかもしれないって。

本当は納得してないのに、納得したふりをさせてくれる言葉。
本当は変えたいのに、変えなくていい理由をくれる言葉。

諦めの言葉で片付けてきた現実

よく考えてみると、私たちって結構いろんなことを「仕方ない」で片付けてきませんでしたか?

残業が当たり前の働き方。
「忙しい時期だから、仕方ないよね」

理不尽な上下関係。
「先輩だから、仕方ないよね」

誰も得しないような無意味なルール。
「決まりだから、仕方ないよね」

みんなが疲れてるのに、誰も声を上げない会議。
「みんな忙しいから、仕方ないよね」

一つ一つは小さいことかもしれません。
でも、これが積み重なっていくと、なんだか世界全体が「仕方ない」で覆われていくような気がしませんか?

思考停止が生む見えない苦しみ

「仕方ない」って、確かに優しい言葉です。
でも、もしかしたらその優しさが、誰かの苦しみを見えなくしてるかもしれません。

本当は声に出したかった人がいるかもしれません。
本当は「これっておかしい」って言いたかった人がいるかもしれません。

でも、周りのみんなが「仕方ないよね」って言ってるから、自分だけわがままなのかなって思って、黙ってしまった人がいるかもしれません。

そして、その人は一人で泣きながら帰って、次の日にはまた笑顔で「仕方ないですよね」って言ったかもしれません。

そのたびに、世界はちょっとずつ鈍感になっていくような気がするんです。
本当はおかしいことが、だんだん「普通のこと」になっていく。

自分の責任で選択することの大切さ

もちろん、本当に「仕方ない」ことってあると思います。
自然災害とか、生まれた時代とか、どうしても変えられないこともありますよね。

でも、もし「仕方ない」って言うなら、ちゃんと自分の責任で選びませんか?

「これは確かに変えられないから、受け入れよう」って、ちゃんと考えて決める。
「これは実は変えられるかもしれないけど、今は変えないことを選ぼう」って、理由も含めて決める。

そうじゃなくて、ただなんとなく「仕方ない」で終わらせちゃうと、本当に「仕方ない」ことと、実は「仕方ある」ことの区別がつかなくなっちゃうと思うんです。

そして気づいたときには、自分の人生の大部分を「仕方ない」で埋め尽くして、気づかないまま死んじゃうことになるかもしれません。

心の声に気づくことから始まる変化

でも、きっとみなさんも薄々気づいてるんじゃないでしょうか。

あなたの心の中の「これっておかしくない?」って声。
その声が、静かに手を挙げてるのに気づいてませんか?

それに気づいてるから、この記事をここまで読んでくださったんですよね。

「仕方ない」って言葉は確かに優しいです。
でも、その優しさに甘えすぎちゃうと、自分の本当の気持ちが見えなくなっちゃうかもしれません。

たまには、その「仕方ない」を疑ってみてもいいんじゃないでしょうか。
本当に仕方ないのか、それとも、ただ面倒だから「仕方ない」ことにしてるのか。

きっと、その区別がつくようになったとき、世界はもう少し生きやすくなるかもしれませんね。