婚活パーティーの広告や、婚活アプリのCMを見るたびに、強い違和感を覚える。
「理想の相手と出会える」
「運命の人が見つかる」
「幸せな結婚への第一歩」
こんな美しい言葉で飾られているが、実際に行われているのは何だろうか。
それは恋愛でも運命でもない。ただの人材調達だ。
「相手が欲しい」から始まる論理的破綻
婚活の根本的な矛盾に気づいているだろうか。
本来の恋愛とは「この人を好きになった」から始まるものだ。
特定の誰かへの感情が先にあって、その結果として「付き合いたい」「結婚したい」という欲求が生まれる。
しかし婚活は真逆だ。
「結婚相手が欲しい」という欲求が先にあって、その後で「相手を探しに行く」。
これは恋愛ではない。
商品の調達だ。
スーパーに買い物に行くのと何が違うのか。
「今日は肉が欲しいな」と思って肉売り場に向かう。
「今日は結婚相手が欲しいな」と思って婚活パーティーに向かう。
この構造的類似に、なぜ誰も違和感を抱かないのだろうか。
条件マッチングという名の人間商品化
婚活サイトのプロフィール欄を見てほしい。
年収、職業、学歴、身長、体重。 趣味、価値観、結婚後の希望。
これは履歴書だ。
恋人を探すための履歴書。
そして婚活参加者は、この「履歴書」を見比べて「条件に合う人」を選ぶ。
まるで企業が採用活動をするように。
「年収は最低○○万円以上」
「大卒必須」
「身長は○○センチ以上希望」
これは恋愛だろうか。
それとも人材採用だろうか。
相手を一人の人間として見ているのか、それとも条件を満たす商品として見ているのか。
その境界線は、もはや曖昧になっている。
婚活産業という恋愛弱者搾取システム
より深刻な問題は、この歪んだシステムが巨大な産業として成立していることだ。
婚活パーティー、婚活アプリ、結婚相談所。
彼らが儲けているのは誰の金か。
恋愛に悩む人々の金だ。
一人でいることに不安を感じる人々の金だ。
「このままでは結婚できない」という恐怖を抱く人々の金だ。
婚活産業は、人々の孤独感と不安を商品化している。
「あなたには恋人が必要です」
「結婚しないと幸せになれません」
「今すぐ行動しないと手遅れになります」
こうしたメッセージで不安を煽り、その解決策として「婚活サービス」を売りつける。
これほど巧妙で、これほど卑劣な商法があるだろうか。
恋愛市場という名の競争地獄
婚活は「恋愛市場」という言葉で語られることが多い。
この表現自体が、問題の本質を表している。
市場とは競争の場だ。
勝者と敗者が生まれる場所だ。
恋愛が市場化されることで、人々は競争を強いられる。
「より良い条件の相手」を求めて、他の参加者と競い合う。
自分の「市場価値」を高めるために、年収を上げ、外見を磨き、スペックを向上させる。
そして、この競争に疲れ果てた人々が「恋愛格差」を嘆く。
「ハイスペック男性は売り切れ」
「アラサー女性は売れ残り」
人間を商品として扱う言葉が、当たり前のように使われている。
この状況を異常だと思わないのだろうか。
「みんな結婚したがっている」という幻想
婚活産業が前提としているのは「みんな結婚したがっている」という思い込みだ。
しかし、本当にそうだろうか。
一人でいることを好む人はいないのか。
恋愛に興味がない人はいないのか。
結婚制度に魅力を感じない人はいないのか。
このような多様性を無視して「結婚が正常、独身が異常」という価値観を押し付ける。
そして、その価値観に従わない人々を「婚活しない変な人」として排除する。
これは多様性の否定だ。
個人の自由な選択の否定だ。
孤独感を利用した感情的搾取
婚活産業が最も巧妙なのは、人間の根源的な感情を利用することだ。
人は孤独を恐れる。
一人でいることに不安を感じる。
社会から取り残される恐怖を抱く。
婚活産業は、これらの感情を徹底的に利用する。
「一人でいるのは寂しいですよね」
「みんな幸せそうな夫婦を見ると羨ましくなりますよね」
「このまま一人だと将来が不安ですよね」
こうして人々の不安を増幅させ、その解決策として婚活サービスを提供する。
しかし、本当の問題は孤独感ではない。
「孤独であることが悪い」という社会的価値観の押し付けだ。
一人でいることの価値を認めず、結婚することだけを「正解」として押し付ける社会。
その価値観こそが、多くの人々を苦しめている根本的な原因ではないだろうか。
自然な出会いを否定する構造
婚活システムのもう一つの問題は、自然な出会いを否定することだ。
「偶然の出会いなんて期待できない」
「待っているだけでは何も始まらない」
「積極的に行動しなければ結婚できない」
こうしたメッセージは、自然に恋愛関係が育まれることの価値を否定している。
しかし、多くの人々の恋愛は、実際には自然な出会いから始まっている。
職場、学校、趣味の場、友人の紹介。
特別な「恋活」「婚活」をしなくても、人間関係は自然に発展していく。
婚活産業は、この自然なプロセスを「非効率」として切り捨て、人工的なマッチングシステムを「効率的」として売り込む。
しかし、恋愛に効率性を求めることが、そもそも間違っているのではないだろうか。
恋愛の商品化がもたらす弊害
婚活システムは、恋愛そのものを変質させている。
相手を「条件」で選ぶことが当たり前になり、人間性や相性よりもスペックが重視される。
恋愛感情よりも「結婚に適しているか」が判断基準になる。
自然な関係の発展よりも「効率的なマッチング」が求められる。
その結果、何が生まれているか。
感情の欠けた、機械的な関係だ。
条件だけで結ばれた、愛情のない結婚だ。
そして、そのような関係の破綻と、さらなる不幸の再生産だ。
真の解決策は構造の変革
婚活システムの問題を解決するには、根本的な構造変革が必要だ。
まず「結婚が正常、独身が異常」という価値観を見直すべきだ。
一人でいることの価値を認め、多様な生き方を尊重する社会を作る必要がある。
次に、恋愛の商品化を止めるべきだ。
人間関係を市場原理で語ることをやめ、自然な感情の発展を大切にするべきだ。
そして最も重要なのは、孤独感や不安を商品化する産業に対して、批判的な視点を持つことだ。
彼らが売っているのは解決策ではない。
問題の再生産だ。
個人の選択を尊重する社会へ
恋愛や結婚は、本来極めて個人的な選択だ。
誰と付き合うか、いつ結婚するか、そもそも結婚するかしないか。
これらはすべて、個人が自由に決められるべきことだ。
しかし、婚活産業は「正しい選択」を押し付け、その選択に従わない人々を「問題がある人」として扱う。
このような社会で、本当の意味での自由な恋愛が可能だろうか。
本当の意味での幸せな関係が築けるだろうか。
婚活という名の人材調達システムを見るたびに思う。
これは恋愛ではない。
商取引だ。
そして、その商取引に疲れ果てた人々が、真の幸せを見失っていく現実を、私たちはいつまで看過し続けるのだろうか。