企業に勤めるということは、自分が思考する回数を減らせるということだ。
それでいて、金はもらえるし、何かをやった気持ちにもなる。
会社が用意したルールに従っていれば、
「何を考えるべきか」
「どう判断すべきか」
を自分で決める必要がない。
思考を外部委託できる仕組み。
多くの人にとって、これは楽で合理的な選択肢だった。
だが最近、このやり方が不合理になってきている。
思考停止と引き換えの「安定」が消失した構造
従来の企業勤めは明確な取引だった。
思考停止と引き換えに安定を得る。
終身雇用があり、年功序列があり、退職金があった。
「考えなくても生きていける」という保証があった。
この前提が崩れている。
終身雇用は実質的に終わった。
いつリストラされるかわからない。
年功序列も崩れて、給与も上がらない。
それでいて副業解禁だの、自己啓発だの、「個人で稼ぐ力」だのと言われるようになった。
結局は思考も求められている。
つまり「思考停止していても安定」という旨味がなくなったのに、多くの人間はまだ古いシステムにしがみついている。
リスクだけ負わされて、メリットは減っている状態だ。
企業が仕掛ける矛盾したメッセージの正体
より深刻なのは、企業側の矛盾したメッセージだ。
「個人で稼げるようになれ」と言いながら、実際は思考停止従業員を求め続けている。
副業を解禁しつつ、本業では相変わらず「上司の指示に従え」「決められたルールを守れ」と要求する。
なぜこんな矛盾が生まれるのか?
企業は都合のいい部分だけ「個人の責任」にしたいからだ。
業績が悪化すればリストラする。そのときに「個人のスキル不足」として責任転嫁する。
でも働いている間は思考停止のまま従ってほしい。
労働者側も、この矛盾に気づかない。
思考停止の快楽に慣れてしまっているから、変化を認識できない。
「会社が何とかしてくれる」という幻想を手放せない。
古いルールで新しいゲームに参加する愚かさ
現在の状況を客観視すれば明らかだ。
最初から自分で思考して、自分でリスクを取った方が合理的になっている。
思考も個人の責任、リスクも個人の責任なら、自由度も自分で確保すべきだろう。
それなのに、なぜ多くの人間は古いシステムに固執するのか?
思考することには責任が伴うからだ。
失敗すれば自分の責任になる。
それが怖いから、破綻したシステムにしがみついている。
古いルールで新しいゲームに参加している状態。
敗北は必然だ。
ゲームのルールが変わったことに気づかない者から脱落していく。
それが現在進行中の現実だ。