ブラッドフォード火災が証明する──制度はもう”崩れている”のに、誰も見ようとしない

1985年5月11日、午後3時40分。
ブラッドフォード・シティのスタジアムで小さな出火が報告された。
観客たちは足元が温かくなるのを感じながらも、まだ笑っていた。
カメラに向かって手を振る者もいた。

4分後、炎はスタジアム全体に燃え広がり、56人が死んだ。

これは現代社会の完璧な縮図だ。

4分間の傍観

ブラッドフォードの観客たちは、反対側のスタンドが燃え始めても座り続けた。

「ただの煙だ」
「落ち着け」

と言い合いながら。
一部の観客は祝賀的な気分で歌い踊っていた。

なぜか。
目の前で起きていることの深刻さを理解できなかったからだ。

木造スタンドは既に非難勧告を受けていた。
ゴミが何年も蓄積され、火災の危険性は指摘されていた。
しかし誰も真剣に受け取らなかった。

「まだ大丈夫」だから。

そして4分間で全てが終わった。
座席に座ったまま焼死した人々が、その楽観的な代償を支払った。

これが群衆の現実認識能力だ。
破綻の兆候を見ても、最後まで「まだ大丈夫」と唱え続ける。
隣の人間が同じことを言っているから、それが正しいと錯覚する。

集団催眠の完成だ。

崩れ続ける制度への盲目

現代の日本人も、同じスタンドに座っている。

年金制度は既に破綻している。
現役世代の負担は限界を超え、支給開始年齢は引き上げられ続ける。
それでも「まだ大丈夫」と言う。
口では「年金なんてもらえない」と愚痴りながら、何の対策も取らない。

終身雇用は幻想になった。
大企業でさえリストラを断行し、非正規雇用が労働者の4割を占める。
それでも「まだ大丈夫」と言う。
自分だけは例外だと思っている。

社会保障費は膨張し、国の借金は1000兆円を超えた。
出生率は1.3を切り、人口減少は加速する。
それでも「まだ大丈夫」と言う。
誰かが解決してくれると期待している。

ブラッドフォードの観客と何が違うのか。

AIと成果主義という新しい炎

さらに危険なのは、新しい火種が既に燃え始めていることだ。

AIによる自動化は、事務職の大半を不要にする。
銀行員、会計士、翻訳者。
これらの職業は10年以内に大幅に削減される。
しかし当事者たちは「まだ大丈夫」と言い続ける。

副業解禁、成果主義の導入。
企業は社員を「安定して雇う義務」から解放されつつある。
雇用の流動化という名の下に、労働者の使い捨てが合法化される。
それでも「まだ大丈夫」。

グローバル競争の激化により、日本企業の競争力は相対的に低下している。
技術革新は海外が主導し、国内市場は縮小する一方だ。
しかし経営者も労働者も「まだ大丈夫」。

炎は既に足元まで迫っている。

それでも、気づかない。
それでも、気づこうとしない。

気づいているのに黙っている罪

最も罪深いのは、問題に気づいているのに黙っている者たちだ。

政治家は選挙のことしか考えない。
不都合な真実を語れば票を失うから、耳触りの良い嘘を重ねる。

「社会保障制度は維持できる」
「経済成長で全て解決する」

彼らは炎が見えている。
だが票のために口を閉ざす。

官僚は既得権益を守ることに必死だ。
制度の欠陥を知りながら、自分たちの立場を維持するために現状を継続する。
年金の実質的破綻を知りながら「100年安心」と言い続ける。

経営者も同罪だ。
終身雇用が不可能だと知りながら、労働者の期待を利用し続ける。
「会社が守ってくれる」という幻想を餌に、安い労働力を確保している。

そして労働者も共犯だ。
薄々気づいているのに、見て見ぬふりをする。
不安を感じても「考えたくない」と思考を停止する。
隣の席の人間も同じだから、自分も安全だと信じ込む。

構造的欠陥への無関心

日本社会の問題は、個人の意識の問題ではない。
構造的な欠陥だ。

少子高齢化は数十年前から予測されていた。
人口減少が社会保障制度に与える影響も計算されていた。
それでも根本的な対策は取られなかった。
なぜか。
誰も責任を取りたくなかったからだ。

政治家は次の選挙までしか考えない。
官僚は自分の在任期間中の安定しか望まない。
企業は四半期決算の数字しか見ない。
誰も長期的視点で問題に向き合わない。

そして国民も、目先の利益しか考えない。
年金や医療費の負担増には反対するが、抜本的な制度改革には無関心だ。
「自分の世代は逃げ切れる」と計算している。

これがブラッドフォードのスタンドと同じ構造だ。
誰もが「自分だけは大丈夫」と思っている。
全体が崩壊することは想像できない。

静かに燃え続ける社会

現代社会の崩壊は、劇的ではない。
ゆっくりと、静かに進行する。

4分。

ブラッドフォードの観客に与えられた”選択の猶予”は、それだけだった。

だが現代の社会崩壊は、もっと巧妙だ。
足元の温度は一気に上がらない。
煙も立たない。
警報も鳴らない。

「まだいける」と思わせたまま、崩壊は進む。
気づいた時には、すべてが静かに手遅れになっている。

だからこそ危険だ。
ブラッドフォードの観客のように。

年金の実質支給額は毎年減額される。
終身雇用は形骸化し、非正規雇用が拡大する。
社会保障費は増大し、税負担は重くなる。
しかし変化は緩やかだから「まだ大丈夫」だと錯覚する。

ブラッドフォードでも、最初は足が少し温かくなっただけだった。
煙が少し立ち上っただけだった。
誰も大火災になるとは思わなかった。

現在の日本も同じだ。
制度の劣化は少しずつ進む。
しかし決定的な破綻まで、人々は安心していられる。
そして気づいた時には、もう逃げ道は塞がれている。

逃げ道が塞がれる前に

ブラッドフォードの悲劇から学ぶべきは、時間の残酷さだ。

問題を認識してから行動するまでに、4分間しかなかった。
現代社会でも同じことが起きる。
制度崩壊が顕在化してから対応するのでは遅い。

しかし大多数の人間は、最後まで傍観し続ける。
隣の人間も座っているから、自分も座り続ける。
煙が見えても、炎が見えても「まだ大丈夫」と言い続ける。

そして最終的に、座席で燃え尽きる。

あなたは今、どの席に座っているか。
そして、足元の温度に気づいているか。


※ブラッドフォード火災の犠牲者を貶める意図はない。
むしろ、この悲劇から学び、同じ過ちを繰り返さないことが彼らへの真の敬意である。

出典:
Bradford City stadium fire – Wikipedia
Bradford City FC stadium fire – Fire Brigades Union
Witnesses to Bradford City stadium fire recall horror 40 years on – ITV News Calendar