――それは、自分を追い詰めるための、偽りの基準だから
こんにちは、コズエです。
今回はSNSについて、ちょっと考えてみたいと思います。
キラキラした投稿、おしゃれなカフェ、満面の笑顔……
見ていると、なんだかステキな気持ちになりますよね。
・・・でも同時に、少し心がざわついたり、自分と比較して落ち込んだりしませんか?
私たちは無意識のうちに、SNSに溢れる「幸せ」を、自分を測るための基準にしてしまっているのかもしれません。
偽りの基準が生む不幸
SNSに投稿される幸せは、常に最高の瞬間だけを切り取ったものです。
その人が抱える悩みや苦労、そして日常の退屈は、そこには写っていません。
それは、いわば「幸せのテンプレート」です。
私たちはそのテンプレートを無批判に受け入れ、
「自分もこれに当てはまらなければ不幸だ」
と、勝手に自分を追い詰めていきます。
これは「自分が思い込んでいる基準」で、自分を傷つけている状態です。
そしてその基準は、他人によって作られた「虚構」に過ぎません。
比較がもたらす自己責任の罠
SNSでの比較は、しばしば自己責任の罠に繋がります。
「あの人は幸せそうなのに、なぜ自分は違うんだろう」と、自分を責める。
「自分の努力が足りないからだ」
「もっと頑張らなければ」
と、自分を追い詰める。
しかし、そもそもその「幸せ」の基準は、他人の虚構です。
あなたが自分の人生を評価する基準は、誰かに決められるべきものではありません。
無意識の比較が生む憂鬱
最も厄介なのは、この比較を無意識でやってしまうことです。
SNSを見る→勝手に比較→勝手に劣等感→「なぜか気分が落ち込む」
原因が分からないから対処もできない。
ただ漠然と「自分はダメだ」という感情だけが残る。
しかも、この比較の基準は幼少期から刷り込まれた価値観です。
「みんなと同じが良い」
「人と比べて優れてないとダメ」
「幸せはこういう形」
無批判に植え付けられた基準で、大人になっても自分を測り続けている。
虚構に踊らされ続ける人生
SNSは、あくまで一つのエンターテイメントです。
それを、あなたの人生を測る基準にしてしまうと、他人の作り物に振り回され続けることになります。
他人の「いいね」に依存し、他人の「演出された笑顔」に劣等感を抱き、他人の「幸せな物語」に自分を当てはめようとする。
でも、ちょっと待ってほしいんです。
その「幸せ」って、本当にあなたが欲しかったものですか?
それとも、「欲しがるべきもの」として刷り込まれただけじゃないですか?
まあ、気づかないまま踊り続けるのも、それはそれで幸せかもしれませんけどね。