転職エージェントのCMに感じる違和感の正体|転職活動の本質と雇用制度の問題

最近、テレビをつけるたびに転職エージェントのCMが流れる。
大手人材会社から新興のヘッドハンティング企業まで…。

「あなたらしく働ける」
「新しいステージへ」
「年収アップのチャンス」

耳障りのいい言葉が次々と画面を埋め尽くす。

なぜこんなにも転職CMが氾濫しているのか。
人手不足だから?先行き不安な世代への救済措置?

そんな表面的な理由で片付けていいのだろうか。

転職活動の本質は「私を買ってください」という現実

転職活動の本質を一言で表すなら、こうだ。

「私を買ってください」

履歴書を書き、面接で自分をアピールし、「御社で働かせてください」と頭を下げる。
これは何か。
自分という商品を売り込む行為そのものだ。

転職エージェントは、その仲介業者に過ぎない。
人身売買とどこが違うのか。
昔は奴隷商人が奴隷を売買していた。
今は転職エージェントが労働者を売買している。

形を変えただけで、構造は何も変わっていない。

「あなたには価値があります」
「もっと高く買ってくれる人がいます」
「さあ、新しいご主人様を探しましょう」

これが転職CMの正体だ。

転職市場における「飼い直し」の構造とメディア戦略

終身雇用制度が崩壊したとき、企業は困った。
一生面倒を見る約束ができなくなったからだ。
しかし、労働者を管理し続ける必要はある。
そこで生み出されたのが「転職を前提に飼う」という新しい支配構造だった。

「一つの会社に縛られなくていい時代」
「選択肢がある時代」

と言葉巧みに誘導する。

しかし、よく考えてみてほしい。
檻から檻への移動を「自由」と呼ぶのか。

転職CMは、檻のデザインを選ばせてくる。
赤い檻がいいか、青い檻がいいか。
大きな檻がいいか、小さな檻がいいか。

檻であることに変わりはないのに、選択の自由があると錯覚させる。

これは「誘導型の選択肢」だ。選べるように見せかけて、同じレールの上を走らせている。終身雇用の変種に過ぎない。

雇用制度の問題点|国家と企業による労働者管理

転職市場の活性化で誰が一番得をするか。
転職エージェントか。人材派遣会社か。

違う。国家だ

不満を持った労働者が政治や社会構造に疑問を向ける前に、「転職すればなんとかなる」と思考を逸らさせる。
個人の問題として処理させる。
税収は安定し、管理しやすい国民を量産できる。

企業と家を往復するだけの思考停止した人間。
それが国家にとって最も都合がいい。
転職CMは、そんな人間を大量生産するための洗脳装置だ。

テレビは資本の広報機関に過ぎない。
高額なCM枠を買えるのは大企業だけ。

彼らが流すメッセージに、私たちは無意識に操られている。

転職活動は延命処置|根本的な労働問題の解決にならない理由

転職で救われた人もいるだろう。
それは否定しない。

しかし、それは構造が正しいという証明にはならない。
「使い捨て前提」の世界における、数少ない生存者の声に過ぎない。

転職は延命処置だ。
根本治療ではない。

場所を変えることはできても、支配構造を変えることはできない。
自分の首輪の色を選べるようになっただけだ。
本質的には何も変わっていない。

私たちは「自由に働け」と言われて、「働かない」という自由を奪われている。
「雇われるか、飢えるか」以外の選択肢を想像できない社会。
独立も、複業も、生活圏の再構築も、まるで「非現実的な夢物語」として片付けられる。

それこそが、本当の貧しさだ。

未来のCMは、首輪のカタログにしか見えない。

現代の労働市場と雇用システムの現実を見つめる

この構造に気づいたとき、絶望的な気持ちになる。
自分がいかに巧妙に管理されていたかを思い知らされる。

しかし、気づかないよりはマシだ。
檻の中にいることを知らずに「自由だ」と思い込んでいる方が、よほど悲惨だろう。

転職CMが流れるたび、思い出してほしい。
画面の向こうで誰かが笑っている。
あなたが「私を買ってください」と頭を下げる姿を見て、満足そうに笑っている人間がいることを。

だが、この滑稽なゲームの正体を見抜いた者だけが、本当の意味で選択肢を手に入れることができる。
首輪の色を選ぶのではなく、首輪そのものの存在を疑う視点を。